美術館創設までの歩み
1986年12月7日
❝ 竹川勇次郎氏が日本国に当ルーブル美術館の姉妹館を建設されるにあたり、当館史上初めて門外不出の展示美術彫刻作品の実物から直接型を取り、当館の技術陣がその総力を結集して完全復刻に当たりました。
「ミロのビーナス」「サモトラケのニケ」をはじめとする世界美術史上超一級の彫刻作品ばかりが選ばれています。
これまで門外不出だった彫刻美術の美しさは、きっと多くの人々の心を魅了するに違いないと確信いたしております。
ルーブル美術館とフランス国立美術館連盟より、今回初の特典を受け、この歴史的事業を完成されてフランスと日本の文化の絆を深めるのに貢献されたルーブル彫刻美術館の竹川館長に感謝いたします。❞
パリ・ルーブル美術館 館長室にて
ルーブル美術館 館長・国立美術館連盟 理事長
ユベール・ランデ
昭和40年代、真言宗の大僧正でもあった初代館長の竹川勇次郎は、パリ・ルーブル美術館を訪れ、ミロのビーナスのその美しさ、荘厳さに感動し、何とか日本の地で、これらの作品を公開させることは出来ないものかと考えた。当時1ドル360円の時代で高度成長期ということもあり、日本でもミロのビーナスの知名度は相当高かったが、実際にルーブルに行ける人はごく一部の限られた人だけというのが現状だった。
そこで、何とか実現できるようルーブル側に交渉をしたが、彫刻作品のほとんどがデリケートな大理石などのため、実物より型をとるなんてとても無理だとの返答しか返ってこなかった。しかし諦めがつかなかった初代館長は、何度も渡仏し交渉の末、熱意が通じ姉妹館の実現に至った。作品はルーブル美術館 美術部長ド・シャロン氏陣頭指揮のもと製作された。
許可を得た当時のルーブル美術館館長ユベール・ランデ氏の言葉にあるように、ルーブル美術館の作品を直接型取りし、館外にでたのは世界で初の特典であった。
1987年12月16日
ルーブル彫刻美術館
オープン
展示作品点数 約1300点
作品は実物より直接型取りし作成された復刻作品で、パリ・ルーブル美術館の美術部が製作。
開館にはフランス博物館協会会長ピエール・コニャム氏、 ルーブル美術館美術部長ド・シャロン氏が当館テープカットのために来日。
【写真】
姉妹館の当館内・展示作品一点一点を熱心に観覧されるパリ・ルーブル美術館・会長のピエール・コニャム氏(右)と同美術部長のド・シャロン氏(左)
昭和40年代 | 創立者 初代館長 竹川勇次郎が パリ・ルーブル美術館に初めて訪れる |
昭和61年(1986年)12月7日 | パリ・ルーブル美術館 館長ユベール・ランデ氏より、世界で初めて姉妹館として承認を得る |
昭和61年(1986年)12月 | パリ・ルーブル美術館 美術部の技術陣が、ルーブル彫刻美術館のために復刻作品の制作を開始 |
昭和62年(1987年)12月16日 | ルーブル彫刻美術館開館 |
昭和63年(1988年)4月6日 | 来館者数が10万人を突破 |